慶應義塾大学斎藤和夫教授 退職記念論文集(抄)
(慶應義塾大学法学研究84巻12号・慶應義塾大学出版会・2011/12刊行)
一 序文
斎藤和夫先生は、昭和47年に法学部助手に就任されてから、40年もの長きにわたり、法学部の研究と教育に力を注がれてきた。先生は平成24年3月に退職され、慶應義塾大学名誉教授となられる。
斎藤和夫先生を一言で表現させていただくなら、「学究の人」ということになろう。先生はつねに、未開拓の領域を独自の方法を用いて、ひたすら追究されてきた。ライフワークは、いうまでもなく、ドイツ強制抵当権の研究である。この研究テーマの重要性は、古くから指摘されてきたものの、先生のほかには、誰も手をつけてこなかった。というよりも、手をつけることができなかったというほうが、正確なようである。
関連の研究者の言葉を借りれば、斎藤先生の研究上の功績は、以下のように要約される。すなわち、他の研究領域と同様、法律学でも学問の細分化が進み、その中で当然のように、「実体法学者」と「手続法学者」の間で、棲み分けが生じてきた。ところが、強制抵当権の研究を行うためには、両者を視野に収める必要がある。この難行に果敢に取り組み、多大なる研究成果をあげたのが、斎藤先生というわけである。
また、ある担保法学の碩学は、ドイツの民法学と民事手続法学の全体に通じているのは斎藤のほかにはいない、と述べたという。
先生の研究は、二冊の大著、『ドイツ強制抵当権の法構造――「債務者保護」のプロイセン法理の確立――』(慶應義塾大学法学研究会叢書71』(慶應義塾大学法学研究会・2003年)と『ドイツ強制抵当権とBGB編纂――ドイツ不動産強制執行法の理論的・歴史的・体系的構造――』(慶應義塾大学法学研究会叢書81)(慶應義塾大学法学研究会・2011年)に、まとめられている。これらは、当該領域における最高峰の研究書との評価が、定着している。
斎藤先生の研究は、質量とも圧倒的であり、他の追随を許さない。実際、強制抵当権研究で得られた知見と方法を駆使しつつ、「担保法」のあらゆる分野について、ドイツ法の研究を基礎とした重厚かつ精緻な論文を、次々と発表されてきた。なかでも「担保法」は、概して実務家主導の傾向が強く、学術的著作が少ない、といわれる分野であり、また前述したとおり、「担保実体法」と「担保手続法」の双方について論文を書ける学者は、さらに少ない、と聞く。
斎藤先生は、ドイツ法の豊かな素養をもとに、次々と労作を発表され、「担保法学」の分野でも、斎藤先生はまさに余人をもって代え難い存在という評価を得ることになったのである。
斎藤先生は、ドイツ法の豊かな素養をもとに、次々と労作を発表され、「担保法学」の分野でも、斎藤先生はまさに余人をもって代え難い存在という評価を得ることになったのである。
先生の研究に関して強調すべきは、強制抵当権に関する研究の重要性を誰もが認めているにもかかわらず、実はその制度が日本の法律には導入されていない、という点であろう。外国にしかない制度の研究を行うことは、むろん困難をきわめる。その中で、先生はご自身の研究生活のすべてをドイツ強制抵当権の研究に捧げられ、前掲の二冊の大著を完成された。この点に、斎藤先生の学問的良心と学問的意義を見出すのは、容易であろう。というのも、現存しない制度に関する研究は、日本の法律の構造と特質を裏側から照射するとともに、現状を批判し、あるべき制度を模索するうえでは、必要不可欠なものだからである。
斎藤先生の研究は、慶應義塾の「法学教育」の面にも、豊かな果実をもたらした。先生は、昭和51年、西ドイツ(当時)・ザールラント大学での在外研究を終えた後、初めて講義をもたれた際に、「担保法」の講座を開設された。現在でこそ「担保法」という名称の科目はそれほど珍しくないが、その嚆矢は先生担当の講座であった、という。現在でもこの講座は続いており、「担保実体法」と「担保手続法」を総合的・立体的に学べるものとして学生の人気を博している、と聞く。
斎藤先生は学問的には大変厳しかったようだが、お人柄はとても温厚である。先生はつねに笑顔を絶やさず、研究室棟の談話室などでお会いすると、いつも丁寧にご挨拶され、細やかな気配りをされる。私自身、何度も斎藤先生から励ましの言葉をいただいたことがある。
先生はまた、「思慮の人」でもある。先生の発言はいつもじっくりと考え抜かれたもので、そこでは様々な利益・立場のバランスが適切に保たれるよう配慮されていた。会議の場でも、先生はけっして自分の意見を強く主張したり、押しつけたりすることはなかった。他者の人格と自由をいつも尊重されていたからだと思う。
このような先生のお人柄は、多くの学生を惹き付け、斎藤研究会からは、多数の優れた「研究者」、「法曹実務家」、「企業法務担当者」などが、輩出されている。
このような先生のお人柄は、多くの学生を惹き付け、斎藤研究会からは、多数の優れた「研究者」、「法曹実務家」、「企業法務担当者」などが、輩出されている。
先生はいつも朝から晩まで研究室にこもって研究されていた。もう研究室棟でお会いすることができないかと思うと、寂しい限りであるが、先生がこれからも引き続き学究生活を続けられ、多くの成果を世に問われることを、心より期待し祈念する次第である。先生、いつまでもお元気にお過ごしください。
平成23年11月
慶應義塾大学法学部長
大学院法学研究科委員長 大石 裕
二 執筆者
青木 淳一(法学部教授);通信法制と放送法制の融合
池田 真朗(法学部教授);債権者代位権擁護論
石橋 源也(森浜田松本法律事務所弁護士・法学研究科講師);不動産投資法人(J-REIT)のガバナンスをめぐる実務上の諸問題
今井 和男(虎門中央法律事務所 代表弁護士・法学研究科講師);民事司法改革の実現を目指して
岩下 眞好(法学部教授);ニーチェの永遠回帰論とマーラー
加賀山 茂(明治学院大学法務職研究科教授・同法学研究科委員長);司法研修所の要件事実論に代わる「新しい要件事実論」の構築のために
蔭山 宏(名誉教授);マンハイムにおける「革命的意識」について
片山 直也(法務研究科委員長・同教授);借地上建物への抵当権設定における担保価値維持義務
加藤 修(名誉教授・神谷法律事務所弁護士);株式会社の参入拡大と遵法・統治・説明責任の実践
金井高志(フランテック法律事務所弁護士・法務研究科講師);共有著作権の権利処理に関する一考察
鹿野菜穂子(法務研究科教授);契約における錯誤と情報提供義務
河原 格(大東文化大学法務研究科教授・法学研究科講師);妨害排除請求権に基づく原状回復の範囲
北居 功(法務研究科教授);二重売買と危険負担
君嶋 祐子(法学部教授・弁護士);平成23年改正特許法における冒認出願・共同出願違反と真の権利者の救済
工藤 敏隆(法学部准教授・弁護士);イギリス倒産法における管財機関の生成と信託理論
楼井 一成(桜井法律事務所弁護士・法学研究科講師);フルペイアウト方式によるファイナンス・リース契約における倒産解除特約の効力
島田 真琴(法務研究科教授・一橋綜合法律事務所弁護士);イギリスにおける金銭支払を命ずる判決の強制執行
庄司 克宏(法務研究科教授);EU基本条約の自由移動規定と国際私法
水津 太郎(法学部准教授);ドイツ管理共同制における家財道具の物上代位規定
平野 裕之(法務研究科教授);組合と権利能力なき社団における共有論の可能性
松尾 弘(法務研究科教授);抵当権の追及効と対抗問題の射程
武川 幸嗣(法学部教授);留置権の「対抗可能性」に関する一考察
山田 恒久(獨協大学法学部長・宗田親彦法律事務所弁護士・法学研究科講師);連結点の基礎となる事実と弁論主義
六車 明(法務研究科教授);判例研究の目的
渡井 理佳子(法務研究科教授);政府系ファンドと行動規範をめぐる諸問題
山根 眞文(元東京大学大学院法学研究科教授・法学研究科講師);国際貸付契約書に見る担保手法についての一考察
坂口 尚史(名誉教授);トーマス・マンの「非政治的人間の考察」について
浅井 静雄(法学部教授);New Religions in Japan
三 編集後記
斎藤和夫先生は、平成24年3月末日をもって、本塾法学部を御退職なされます。斎藤先生は、昭和44年に本塾法学部法律学科を卒業された後、同大学院法学研究科修士課程(民事法学)に進学され、昭和47年、博士課程に進学されると同時に、法学部助手に採用され、爾来、40年にわたり、民事法学研究の分野で多大な業績を残されると同時に、法学部や塾の発展・充実に重要な貢献を果たされてきました。
斎藤先生の御研究は、日独のドイツ抵当権法論、抵当権実行手続法論、弁済者代位論、非典型担保論、留置権論など、担保法・金融法を中心とし、民事実体法から民事手続法に及ぶ、非常に広範なものであります。特に、「民事実体法と民事手続法の交錯」するテーマを、理論的・歴史的・体系的な観点から追究し、従来の学説に再考を促すとともに、実務の状況を的確に踏まえた解決策を提示されるなど、正に「民事実体法と民事手続法の総合的研究」と呼ぶに相応しい新たな学問体系を構築されました。
また、斎藤先生の真骨頂が丹念で緻密なドイツ法研究であることは、言うまでもありません。斎藤先生が長年取り組んで来られたドイツ抵当権法研究は、他の追随を許さない、担保法学の貴重な財産とされており、慶應義塾大学法学研究会刊となる『ドイツ強制抵当権の法構造――「債務者保護」のプロイセン法理の確立――』(平成15年)と、平成23年に、やはり法学研究会から刊行された『ドイツ強制抵当権とBGB編纂――ドイツ不動産強制執行法の理論的・歴史的・体系的構造――』は、その集大成ということができましょう。
斎藤先生はまた、慶應義塾長選挙管理委員会委員長、慶應義塾教職員評議員選挙管理委員会委員長、法学研究科及び法学部の学習指導、司法研究室運営委員会など、数えきれないほど多くの要職に就かれ、塾や法学部の行政面においても、多大な貢献を果たされてきました。本誌『法学研究』の編集委員も、長年にわたって務められ、慶應法学会のみならず、日本の学界の発展にも寄与されました。
教育においても、斎藤先生は非常に熱心でいらっしやいました。30年以上にわたって御担当された法学部の「研究会」(ゼミナール)を通じて、「法曹界」や「実業界」に多くの優れた人材を輩出されるとともに、大学院でも、斎藤先生自らが立ち上げられた「共同研究プロジェクト」等を通じ、若手研究者の養成に尽力されてこられました。
本論文集は、法学部の発展に長年貢献されてきた斎藤和夫先生へのささやかな感謝の記として、法学研究会が企画したものですが、本論文集にも、そうした斎藤先生の薫陶を受けた研究者や、斎藤先生と研究で長年お付き合いのあった多くの方々が、斎藤先生の御功績を称えるとともに、その学恩に報いるため寄稿して下さり、お陰様をもちまして900頁を超える大部となりました。法学研究編集委員会を代表して、御礼申し上げます。先生の末永き御健康と御研究のますますの御発展を祈念しつつ、本論文集を献呈させていただきたいと存じます。
本論文集は、法学部の発展に長年貢献されてきた斎藤和夫先生へのささやかな感謝の記として、法学研究会が企画したものですが、本論文集にも、そうした斎藤先生の薫陶を受けた研究者や、斎藤先生と研究で長年お付き合いのあった多くの方々が、斎藤先生の御功績を称えるとともに、その学恩に報いるため寄稿して下さり、お陰様をもちまして900頁を超える大部となりました。法学研究編集委員会を代表して、御礼申し上げます。先生の末永き御健康と御研究のますますの御発展を祈念しつつ、本論文集を献呈させていただきたいと存じます。
最後になりましたが、本論文集の刊行にあたり、発起人の法学部・君嶋祐子教授及び水津太郎准教授を始め、慶應義塾大学出版会編集部、法学研究会事務局の方々など、多くの方々に御尽力いただきました。心より感謝申し上げます。
平成23年12月
編集主任 法学部教授 太田達也